エス弁 | 〜多様な幸せ、生き方弁当〜

元エンジニア、次世代マンガ家の場所を創る(前田雄太:株式会社まんがたり)

株式会社まんがたりの代表、前田雄太さん。インタビューはzoomを利用しオンラインで行いました。

「好きなことを仕事にしたい」と思ったことはありますか?または「自分のやりたいことがわからない」と悩んだことはありますか?
今回インタビューした前田雄太さんは現在、『株式会社まんがたり』という会社を立ち上げ”次世代マンガ家の活躍する場所をつくる”ために日々奮闘しています。マンガが大好きで、日常的にマンガに触れていた前田さんですが、『まんがたり』を始める前はエンジニアとして働きながら自分探しにたくさん悩んだ過去がありました。そんな前田さんが自分らしい道のりを見つけるまでの奮闘と、これからのマンガ業界についてお話を聞いてみました。

やりたいこと探しのエンジニア時代

ー前田さんは『まんがたり』を始めるまで、どんなキャリアを積んでいらしたんですか?

前田
前田

僕は九州出身で、大学は九州工業大学に進学しました。
なんとなく、理系が得意だったので選んだんですけど、大学に入ってから「数学好きじゃないな、自分」と気付いてしまって(笑)
僕が進学した九州工業大学は地元では優秀な大学で、就職先のほとんどを推薦が占めていました。天邪鬼なところがある僕はそこでも「推薦を使わずにベンチャー企業を受けたい!」なんて思ったんです。
自分の力を試してみたいというか。何がやりたい、というのはわからなかったんですけど、むしろそれを見つけたいなと思って。

業界問わずに10社ほど受けたんですが、そのうちの1つ、株式会社ワークスアプリケーションズに就職します。

ーそれで上京されるわけですね。

前田
前田

はい。
ワークスアプリケーションズは会社説明会で、当時の代表の牧野さんのお話に感銘を受けて決めたんです。

「高度経済成長が終わり、大企業で働ければ人生安泰というのは難しくなった。ゼロからイチを生み出す問題解決能力スキルは、どこの会社でも必要とされる。うちの会社なら新卒でも、答えのない難しい仕事に挑戦できることで、そのスキルを伸ばせる。そして30歳になったら全員会社を辞めて、ぜひそのスキルを使って、社会課題を解決する起業をしてほしい。
この話を聞いても大企業が良いと思ったら、うちに来ないほうが良いだろう。ただ、選択肢があることを理解してほしい。」というようなお話をされていました。

牧野さんの強気な発言と、実際にここでなら自分のスキルアップができそうなところに惹かれました。やりたいことも見つかるだろうと。

ーそこでエンジニアとしてキャリアスタートしたんですよね。

前田
前田

そうです。会社に入ってから開発の技術を学び、業務系の基幹システムの開発などを扱っていました。8年ほどそこで経験を積みます。

ただ、就職当時は「全力で3年働いたら自分が何をやりたいか見える」と思っていたんですが、見えなかったんですよ。(苦笑)
「やりたいこと」って、なんとなくでは見つからないんだなと感じましたね。ちゃんと、見つける気で考えないと、自分が何をやりたいのかはわからない。

そこからは自分探しの旅のように…ワークスで働きながら、人に教えるのが好きだから=教師だ!と考えて通信制の大学で教職を学んだのですが、勉強が大変で挫折してしまったり。
モンゴルのNGOでプロボノスタッフもやりましたけど、やっぱり働きながらだとハードで続かなくて。
そんな日々を送りながら2017年末、31歳の時にワークスアプリケーションズを退職しました。

自分が「なんとかしたい」と思った。過酷な漫画家の世界

ーそれで次に目をつけたのが”マンガ”だったと。
そもそも前田さんとマンガとの出会いって?

前田
前田

僕は子どもの頃に読んだ『ドラゴンボール』ですかね。

その頃から今までずーっと、どんな時もマンガは日常に欠かせないものになっていて。

僕は人への興味や好奇心が強いタイプなんです。
会ったことない、見たことない世界にすごく惹かれる。マンガはそういう出会いを簡単にもたらしてくれるし、たくさんのことを教えてくれる。海外旅行も大好きなんですが、僕にとっては海外への一人旅と感覚が似ていますね。

ーなるほど。確かにマンガはいつでも気軽に異世界へトリップできますよね。
それで、マンガをビジネスにしようと思ったのは?

前田
前田

ちょうど会社を辞める半年前くらいに、漫画家の卵と出会う機会があったんです。
アシスタントとしてプロの先生のもとで原稿を手伝いながら、自分で出版社に持ち込んだ作品が受賞して担当さんがついたばかり、というような方でした。

マンガが大好きだった僕は、色々興味で話を聞くうちに、漫画家の世界のハードさをなんとかしたいと思うようになって・・・。

ー漫画家の厳しい世界について教えてください。

前田
前田

漫画家として成功してご飯を食べていける人っていうのはわずか3%程度と言われています。100人の社員がいる会社として考えると、社長と副社長+1人くらいしかご飯食べれてないってことになるんですよ。

ー会社として考えるとその厳しさがよくわかります。
そもそも漫画家さんってどんな風にお金を貰ったりお仕事しているんでしょうか?

前田
前田

人にもよりますが、ある週刊誌の漫画アシスタントさんの1日で考えると9時ぐらいから仕事を始めて21時とか22時くらいまで原稿を手伝います。その間、休憩は昼に15分、夜に30分ほど。これを週4日。漫画家の先生になればアシスタントが帰った後も原稿作業してるでしょうからもっと睡眠時間は削られていきます。週刊誌は毎週、締め切りがありますから実質休みはほぼ無いですよね。

原稿料は1ページいくら、という感じで決まります。
1ページ1万円で良い方でしょうか。1話18Pで連載した場合、月に72万円もらえるわけですが、アシスタントさんを4人雇って日給1万円払えば、週4日来てもらって人件費は月に64万になります。残った分で家賃・光熱費の支払い、道具代なんかを払えば自分の生活がいかにカツカツかは・・・

ーというか、赤字ですよね。

前田
前田

はい。

印税収入も連載が続いて単行本が売れてはじめて発生しますし、もちろん単行本出す前に連載が打ち切りになってしまう場合もあります。

アシスタント時代はマンガのスケジュールを優先していると深夜のコンビニバイトや日雇いくらいしか選択肢はありません。それで10年、漫画家としてデビューを夢見て頑張って、それでも叶わなくて、再就職しようにも30歳半ばで社会人スキルも無いとなると・・・という人もザラです。

ーうーん。ハードな世界ですね。漫画の世界に限った話ではないけど、華々しい成功の裏側にはかなり厳しい現実が必ずあって。

前田
前田

そういう現実を目の当たりにした時に、僕がなんとかしたいと思ったんです。

次世代マンガ家とは?

前田
前田

マンガは今の時代、なにも出版社からエンタメとして出版されるだけではなくて。
広告ツールとして最近はとても注目されています。

ー子ども向け通信教育の案内冊子とかに載ってるマンガが思い浮かびました。

前田
前田

そうですね。
興味喚起や営業の導入なんかにすごく効果的です。興味のないことでもマンガにしてあると見てもらいやすかったり。文章だと説明的になっちゃうところも、マンガにしてあることでその世界に入りやすかったりします。

今まではBtoCのサービスで広告マンガが多かったんですけど、『まんがたり』はBtoBやスタートアップ向けに広告マンガを手掛けさせたら日本一だと思います。

『まんがたり』は”次世代マンガ家”という言葉を掲げていて。
週刊誌や月刊紙で連載するだけがマンガではない。さっきもお話したように、厳しい世界に身を置いている漫画家さんのスキルの幅を広げていきたい。

漫画家の芸能プロダクションのような。
どうやったら「マンガを描くことに集中してもらえるか」それを大事にしながらサポートしているのが『まんがたり』です。

ー今『まんがたり』はどんな組織なんですか?

前田
前田

契約している漫画家は5人です。
クライアントの要望に合わせて、マンガ広告を描いてもらっています。

スタッフ側は僕以外、業務委託でディレクター2人、デザイナー1人、インターン生が1人。まだまだ駆け出しの組織なので、マンガ好きの会計士さんが時々ボランティアで手伝ってくれたりなど、ご縁で助けられていることも多いです。

これからの、まんがたり

ー今後の『まんがたり』の展望は?

前田
前田

海外展開もしていきたいですね。
マンガがこれだけの地位を築いているのはやはり日本だけ。
大人も真剣になってマンガを読むのは日本くらいです。
まだまだ世界の基準ではマンガは子どもかオタクのものという認識が一般的です。
ところが最近アジア、中国や韓国では結構日本に近い感覚でマンガが日常に浸透してきていて。
こうやってマンガを日本から、世界のスタンダードにしていきたい。『まんがたり』だけじゃなくて、マンガ業界全体で取り組んでいきたいです。


実際に、過去には海外からの案件も担当しました。

以前、アフリカのジャングルで開催するゴリラツアーの案件があって。ツアーに際しての注意事項とかをマンガで説明するんですけど。言語がわからなくてもイラストが入ることによって伝えられたりするので、観光ガイドの分野でもマンガの可能性を感じましたね。

ーこうやって、前田さんはマンガという夢中になれるものを見つけられたんですね。

前田
前田

そう。エンジニア、教師、NGOスタッフ・・・遠回りはたくさんしましたけど後悔はしてない。
『まんがたり』も個人的には「これかな?」と思ってはじめました。やってみて実際に、今もモチベーションが落ちずにずっと毎日楽しいです。
やってみて、自分のモチベーションが落ちなければ、それが現時点で一番やりたいことなんだ、って自問自答する方法で、「まずはやってみる」ということがおすすめです。

好きなことを転々としていてもいいんです。
いつか誰でも必ずモチベーションが落ちずに追いかけ続けられることが見つかるはずです。

「やりたいことを見つける」って、好きなものへの情熱もそうですが、自分の”今”に納得しているか?と常に問い続ける姿勢がすごく大事なのかもしれない。前田さんのお話を聞いていて改めてそう感じました。
これからの株式会社まんがたり、マンガの明るい未来に期待が膨らむインタビューになりました。

前田 雄太(まえだ・ゆうた)
マンガ家芸能プロダクション:株式まんがたりを起業。 マンガが好きすぎてキャリアと全然関係ない広告マンガ事業に挑戦。ぴったりのおすすめマンガを伝える「マンガソムリエ」も実施中。■マンガでよめる「創業のきっかけ」 https://note.com/mangatari_maeda/n/nee0887c78640

故郷でスタートアップ事業の成功を目標に。(Ipa Saripah: Domestic helper)

インドネシアからシンガポールへ働きに来ているIpah Saripahさん(40歳)

シンガポールの働き方を語る上で外せない存在、それがDomestic helpersです。彼女達は東南アジア諸国からシンガポールへ、故郷の家族を支える為に出稼ぎに来ています。
主にシンガポールの共働き家庭に住み込みで、家事全般・育児・介護のヘルプをします。
現在、シンガポールでDomestic helperとして働くイパさんに、故郷を離れて過ごす今は幸せ?将来はどんな夢があるの?率直に気になることを聞いてみました。

イパさんがシンガポールへ渡るまで

−なぜ出稼ぎ先にシンガポールを選んだのでしょうか?

イパ
イパ

学生時代から、シンガポールがいいところだと聞いていたからです。
身近に実際に行った人がいたわけでもなかったが、給与水準も他の国へ出稼ぎに行くより高いし、私には先進国への憧れが非常にありました。

−実際にシンガポールへ来たのは?

イパ
イパ

26歳の時です。
最初に中国系シンガポーリアン(華人)の家庭へ雇用されてそこで11年、次にオーストラリア人の家庭で3年勤めました。今はまた、最初に雇用された華人の雇用主の家庭でヘルパーをしています。
シンガポールに来てからは14年になりますね。

−今はどんな風な1日を過ごしているんですか?

イパ
イパ

朝起きて、自分の身支度を整えた後はキッチンに向かいます。置いてある洗い物から片付けます。その後ハウスクリーニングをして、洗濯をし、犬の散歩をします。
今のお家は、息子さんが兵役に行っているのでお母さんの一人暮らしなんです。

−私が事前にインターネットなどで調べた記事によると、住み込みのメイドに与えられる部屋は小さなスペースである、などという情報もありました。実際はどうなんでしょうか?

イパ
イパ

私はお母さんと同じ寝室で過ごしていますよ!ベッドも自分の分が与えられています。
別の家庭にヘルパーで入った時も同様に、自分の部屋がちゃんと与えられました。

友人(同じくDomestic helperとして働きに来ている仲間)に聞くと、私のように1部屋貰えている人や、コンパクトな部屋が与えられている人もいますが、ひどい扱いを受けたような話は聞いたことがないですね。
プライベートな空間は与えてもらっている人が多いと思います。

万が一、不当な扱いを受けた場合はきちんとFASTのような団体が助けてくれるはずです。

将来は故郷での起業が目標!

−家族と離れて暮らしていますが、モチベーションはどこから来ていますか?

イパ
イパ

やはりお金の為ですね。
家族をサポートしたいし、実際にここで働いていればそれが叶います。
自分の為にも貯金がしたいんです。故郷に帰ってビジネスを始めようと思っているんです。
だから、Domestic helperとして働くのは今の雇用主との契約で最後にしようと思っているんです。

−いいですね!どんなビジネスか聞かせていただけますか?

イパ
イパ

私のホームタウンはインドネシアの田舎で、都心まで出ないと電化製品やバイクが買えないんです。
だから気軽に村のみんなが行ける距離に販売店を開きたいのです。シティまで出なくても村で電化製品を供給できるように。

−早く実現するといいですね!

イパさんは、故郷を離れてホームシックになることはありますか?
それとも、何でも手に入るシンガポールの方が暮らしやすいと思いますか?

イパ
イパ

たまにホームシックになるけど、今は手軽に電話やSNSで家族や友達と連絡が取れるようになったので、最近は寂しさも薄らいでいます。
シンガポールの方が快適かもしれませんね(笑)

FASTを通じて(スリランカ、フィリピン、インドなど多国籍な)友達もたくさんできたし、シンガポール自体とても暮らしやすい国だと思います。

-お休みの日(日曜日)はどこで過ごしているんですか?

イパ
イパ

大体FASTのスペースにいます。
アクティビティもあるし、フィットネスやカラオケなどいろんな活動ができるから。仲間といれば何をしていても楽しく、ずっとHAPPYです。
街で買い物したり自分にお金をかけることは2ヶ月に1回くらいありますが、時々です。

FASTでイパさんらDomestic helperが習い作ったお花や手芸作品たち。

リフレッシュにもなるし、働いている家庭での生花や手芸のスキルにもなる。


-イパさんの故郷(インドネシア)について教えてください。
女性は出稼ぎにいっていますが、男性たちはどうしているのでしょうか?

イパ
イパ

インドネシアの男性は、造船業など船にまつわる仕事が盛んなので、船のエンジニアなどを生業にしている人は同じようにシンガポールへ出てくる人がいます。

インドネシアの中でシティに出て仕事をする人と、村に残り子どもの面倒を見る人もいます。私の村の男性は半々くらいですね。

女性が出稼ぎで留守にしている家族の面倒は村に残った男性か、義母が見たりしています。

−同じくシンガポールへ出稼ぎしていたり、故郷で家族の面倒を見たりしているんですね。

最後に、聞かせてください。
イパさんは今の暮らしに満足していますか?

イパ
イパ

はい、全てに満足しています。私はとても幸せです!

イパさんはインタビューに答えてくれたこの日、雇用主から外出許可を得て協力をしてくださいました。休暇以外の外出になるからです。幸い、イパさんの雇用主の方は非常に親切な方で快く許可を出してくれたようですが、あくまで雇用主に拠るということは、忘れてはいけない部分だと感じます。

一方でイパさんはインタビュー中もずっと笑顔で、特にお休みの日にFASTの提供するスペースで仲間たちと過ごす時間について話す様子は、本当に楽しそうでした。
イパさんが故郷に戻って自分の夢を叶えることを心から応援しています!

サリー
サリー

FASTのスタッフ、ウィリアムさんがシンガポールのDomestic helperの受け入れ体制やこれまでの沿革についてお話してくれている記事はコチラ
Domestic helpersとシンガポーリアンの共生を見守る(William chew:FAST)

Domestic helpersとシンガポーリアンの共生を見守る(William chew:FAST)

FASTオフィスのロゴの前で。今回、インタビューに応じてくれたウィリアム氏。

シンガポールでは外国人労働者(Domestic Worker)を積極的に受け入れています。中でも各家庭で介護・育児・家事全般をこなす、日本で言うところのメイド(Domestic helper)は実に6家庭に1軒ほどの割合で利用されており、シンガポール人の共働き家庭を支えています。
世界の先進国が注目するこの取り組みを、シンガポール政府公認のNPO団体FAST(Foreign Domestic Worker Association for Social Support and Training)』はずっと支え続けています。
今回は、FAST創立メンバーでもあり、これまで様々な Domestic helperとシンガポールの問題に直面してきたWilliam Chew(ウィリアム・チェウ)氏にお話を聞きながら、シンガポールの働き方とこれから日本が直面する問題を考えてみたいと思います。

この記事を読むにあたって必要な事前知識

・記事の中の「メイド(Domestic helper)」は主に東南アジア(フィリピン、ミャンマー、インドネシアなど)から出稼ぎに来ている女性労働者を指します。

・日本では”メイド”という呼称が浸透しており、職務内容のイメージしやすさやネガティブなイメージはそれほど無いことから、この記事の中でも利用しています。シンガポールでも口語ではメイドと呼ぶこともあるそうですが、英語での表現はDomestic helperとなります。

・シンガポールは貧民層20%、中間層70%、富裕層10%という割合だと言われています。日本では「メイドを雇う」と言えば富裕層家庭のイメージがありますが、シンガポールでは中間層以上の家庭で6軒に1軒はメイド雇用をしており生活に密着しているものだという認識の差があります。

Domestic helperの中枢機関
FAST HUB(ファスト・ハブ)

−FASTは現在、新しい施設を建設中だそうですね。

ウィリアム
ウィリアム

はい。この施設(インタビューを行った場所)が現在は私たちの活動拠点ですが、今後は郊外の大きな敷地に関連施設も全て含めた統合的な施設『FAST HUB』を建設しています。

以前、廃校し老朽化が進んで誰も手をつけていなかった学校を、取り壊すよりは再利用しようということでおよそ2億円規模を投じて建設しています。
しかし資金は足りていないので常にスポンサーは募集しているんです。

現在のFASTオフィスはビルテナントの一角にある。


−下記のYouTubeの施設紹介を拝見しました。

Domestic helperにとって必要な手続きもサポートも何でも揃う、かなり大型の施設となりそうですね。

そもそもどのような手順を経て彼女たちDomestic helperはシンガポールへやってくるのか、システムを教えてください。

ウィリアム
ウィリアム

登場するのは「雇用主」「エージェント」そして「メイド(として働きたい人)」です。

まず、雇用主からエージェントへこんな人材が欲しいとオーダーが来ます。
例えば、産まれたばかりの子どもと、その母親へのサポートが欲しいなど。

それに見合ったスキルを持っていて、人手に空きがあればすぐにアサインできます。
そうでない場合はエージェントから「未経験でもいいか?」「国籍に希望はあるか?」など雇用主にヒアリングが入ります。
給与など諸条件についても合意が取れたら、契約成立。

例えば雇用されるのがフィリピン人の女性なら故郷のフィリピンで、英語のトレーニングやVISAの取得までは行います(Domestic Worker用のVISAが発行される/2年ごと更新)。

−介護や育児などの専門的なスキルはシンガポールに来てから学ぶんですか?

ウィリアム
ウィリアム

はい、ここがシンガポールと他国との違いです。
既にもうスキルを持った人を採用する国が多いですが、我々はシンガポールで人材を育てます。

AEDや介護、育児などのヘルパースキルについて、今は提携のトレーニング企業が行っています。今後はその施設もトレーニングセンターとしてHUBの中へ集約されます。

ですが、そういったスキルを学ぶ前にとても大事な講習があります。

−なんでしょうか?

ウィリアム
ウィリアム

S.I.Pという研修ですが、シンガポールに来て一番最初に必ず受けなくてはいけない政府要請の研修です。

まずはシンガポールの法律を教えます。
当然ですが犯罪、違法薬物など持ち込んではいけないものなど。あとはチューインガムを食べたらダメですよ、とかね。冗談です(笑)

そして道路の渡り方なども教えます。彼女達の故郷は信号も大きな道路も無いですから。

同様に、高層階での生活についても。シンガポールの家庭の80%は30階建ての高層団地で暮らしています。3階以上の建物がほとんどない国からやってくる彼女たちの安全にとって非常に重要な教えです。

−安全、とは?

ウィリアム
ウィリアム

例えば高層階のベランダから洗濯物を干す時などは落下の危険が伴います。
また、雇用主からの要望で高い場所で「もっと手を伸ばしてここを掃除してくれ」など、危険な指示が入った場合は証拠の写真などを撮ってエージェントや我々FASTスタッフに報告するように教えます。

シンガポールの法律では、危険な指示をした雇用主は罰金などの対象になります。

−なるほど。

ウィリアム
ウィリアム

こうしてS.I.Pも受けて、トレーニングセンターで仕事に必要なスキルも学んだら(ここまで大体1、2ヶ月くらい)いよいよ雇用主の元へ働きにいきます。

建設中のHUBでは、来星してから雇用主のところへ派遣されるまでの短期的な宿泊施設も完備しますよ。

−彼女達の待遇はどんな形でしょうか?

ウィリアム
ウィリアム

実はシンガポールへ出稼ぎにくるために借金をする人も多くいます。VISAの取得や英語も含めたトレーニング代など。

自分の家族に予めある程度の生活費を渡してからくる人もいるので、おおよそ借金の額は2000〜3000ドルくらいでしょうか。

その借金は全て雇用主が一旦、建て替えてくれるので、返済し終わるまでは無休で働くことになります。

例えば月に600ドル貰えるメイドがいたら、そのうちの300〜400ドルを返済に充てるので最初の半年くらいは休暇なしとなるわけですね。

−出稼ぎに来ること自体が、大変ですね。故郷の家族の為に、本当に皆さん頑張って来るんだなぁ・・・。

ウィリアム
ウィリアム

返済が終われば、週に1度(日曜日)は必ず休暇がもらえますのでようやく色々と楽しむことができます。

その時の楽しみもHUBに完備しますよ。
今のFASTオフィスにも娯楽施設はありますが、さらにパワーアップしたカラオケ、ヨガ、フィットネスやクッキングスタジオなど!
さらに高度なスキルやお金の勉強をするための教室も計画しています。

もちろん、困った時にすぐに頼れるようカウンセリングルームも設置します。

現在のFASTオフィスにあるフィットネスルーム。日曜日はみんなここで汗を流しリフレッシュ。

バンドルームも。他に調理室なども完備。週に一度の休暇もここにくれば楽しめそう。

−FASTのHUBには本当に何でもあるんですね!

ウィリアム
ウィリアム

今、シンガポールには毎日250人のDomestic helperがやって来ます。”毎日”ですよ。

私たちFASTが目指しているのは、彼女達に「シンガポールを第二のホームタウンだと思ってもらうこと」です。
居心地よく安心して暮らせる環境を提供してあげたいのです。

−FASTはDomestic helperたちの為の非営利なサポート団体。
出稼ぎに来る女性達の、時には駆け込み寺、また時には学びや憩いの場になっているんですね。

FASTの存在意義。
シンガポールが乗り越えてきた困難。

ウィリアム
ウィリアム

シンガポール政府は1980年代から外国人労働者を積極的に受け入れ始めました。
その数は順調に増え、2000年代に入ると本当にたくさんの–あらゆる–問題が起きました。

例えば、ストレスで限界を迎えたメイドが精神科にたくさん来院しました。

あるいは、高層階から、落下なのか自殺なのかわからない不審な死を遂げるメイドが増加したのです。

そしてこの背景に、「万が一、雇用したメイドが業務中に死亡した場合は保険料の4000ドルが雇用主に入る」という決まりがあります。真相はわかりませんがもしかしたら保険金目当てで、と私たちは想像しています。

だから先に述べたS.I.Pで受ける高所での家事の研修が、非常に重要になってくるんです。

−そんなことがあったんですね。

ウィリアム
ウィリアム

これらの問題を解決するために、様々な知見を持ったメンバーで会議を開きました。
そして私たちは、外国から労働者をたくさん招いておいて、起こりうる問題に全然対応できていないことに気づいたんです。

そこで2005年に彼女達のサポートを全面的に行うFASTが創立します。

FASTが創立してからずっとシンガポール政府に働きかけ、2013年にやっと「毎週日曜日は必ず彼女達に休暇を取らせること」が法律で決まりました。

しかし今度は別の問題が浮上しました。

−今度はなんでしょう?

ウィリアム
ウィリアム

当時、国内の外国人労働者の数はおよそ20万人です。
その20万人が一斉に日曜日に休暇を取るんです。

シンガポールにはいくつか商業施設がありますが、そこに人が溢れました。
ラッキー・プラザにはフィリピン人、ペニンシュラ・プラザにはミャンマー人、シティ・プラザにはインドネシア人といった具合にね。

−もちろん、ローカルの人や観光で訪れた人は戸惑ったでしょうね。

ウィリアム
ウィリアム

そうです。そして、更なる問題も。

シンガポールでは同じように肉体労働の現場で男性の外国人労働者もたくさん受け入れています。

これで、男女が出会う場所と時間ができてしまったわけです。

−恋愛はもちろん悪いことではないけれど・・・。

ウィリアム
ウィリアム

シンガポールでは、妊娠したメイドは故郷へ強制送還される措置があります。
永住権を与えてあげられませんから。

あるケースをお話しましょう。

とあるメイドが交際相手の、外国人労働者の男性にプレゼントするため盗みを働いたんです。
それで捕まってから発覚したんですが、なんと彼女は妊娠していました。

そして彼女の故郷には、既に彼女の夫と子どももいるっていうんです。シンガポールで窃盗を犯し帰国するだけでなく不倫までしていた、なんて故郷の家族が知ったらどうなるでしょうか。

パーソナルな内容なのでこの問題をどのように解決したかは伏せますが、とにかくこのような問題も私たちFASTが介入して助けていきます。

−本当に個人的な問題に、家族のように手を差し伸べてくれるんですね。

ウィリアム
ウィリアム

今後、日本も外国人労働者を受け入れ拡大した際には同じような問題に直面すると思います。
その時にどうするかは、日本では考えらていますか?

−うーん。言葉に詰まります。

ウィリアム
ウィリアム

どんな問題が起きた場合でも、圧倒的に雇用主の方が強い立場にあります。

雇用主が「No」と言えば、彼女達は職を失い、運が悪ければ借金を抱えたまま故郷に帰らなければならなくなることも。
一度、警察に通報されてしまえばそれが例え誤解であっても、私たちからは手が出せない状態になってしまうんです。

だから私たちは創立以来ずっと、政府にお願いし続けていることがあります。
何かトラブルが起きた時、雇用主側からの一方的な要望でVISAの取り消しをしないようにです。
必ず、私たち第三者を挟んで欲しいと言っています。

−彼女達が困っている時は守ってあげ、悪いことをした時は然るべき対応できちんとサポートする。FASTがそんな団体であることがよく分かりました。

高齢化に対する働き方の手立ては?

−日本では現在「働き方改革」や「女性の社会進出」の風潮の中で、”男性の家庭への参加”が度々議論されています。日本人の根本的な考え方として、外から新しい人を入れずになるべく身内で解決しようとするところも理由の1つだと私は考えています。
ウィリアムさんはどう感じていますか?

ウィリアム
ウィリアム

まず、考えて欲しいのは社会的なニーズです。

日本もシンガポールも、高齢化が加速していく問題を抱えています。
2013年の高齢者の割合では、シンガポールの若者1人に対して支えなければいけない老人の数は2人でした。
これが2030年には1人の若者に対して5人の老人を支えていく割合になるそうです。

この数字は日本もほぼ同じだと聞いています。

また、多忙な人が増えると出生率は下がります。
子どもを作り、産み、育てる心と体の余裕がなくなりますからね。
次の世代の担い手の数は減り、若者への負担は増えるばかりです。

ただでさえ夫婦共働きで忙しいのに、家庭の介護や育児を誰の助けも借りずに家族で解決するとしたら、どうなるでしょう?

−日本では、そんな時に頼るべき外部のサービスであるデイホームや保育の現場も、様々な問題を抱えています。

ウィリアム
ウィリアム

外の施設に預けてしまうという手段もあると思います。
でも誰もが、可能ならば老後は自分の家でゆっくりと過ごしたいですよね。

感情なのか?経済なのか?そこをよく考えなければいけない問題といえるでしょう。

−難しいテーマです。

ウィリアム
ウィリアム

シンガポールにとって彼女達の存在はなくてはならないものです。
ですが、彼女達はあくまで外国人労働者。いつかは故郷に帰ります。完全にシンガポールとは同化しないのです。

私たちはシンガポーリアンと彼女たちを繋げる存在です。
完全には同化しないけれど、少しでも近づける努力をしています。

取り組みとしてFAST主催で、雇用主とDomestic helperが一緒に参加するイベントを開催しています。
クッキングコンテストをしたり、雇用主のMVPを決めて表彰したり。
またDomestic helper向けにシンガポールで少しでも長く働いてもらうためのワークショップを開催したりしています。

きっと今後は日本や香港など、他のアジア諸国でもメイドの受け入れ拡大は広がっていくでしょう。

そうなると今度は出稼ぎ先として「シンガポールを選んでもらう」為に、我々受け入れる側の”質”を高めていく必要があります。

一方で、シンガポーリアンにとって彼女達の存在が当たり前になりすぎて、本来は自分でやるべきこと–親の介護を通して大切な家族と対話することなど–が少なくなってきていることも新たな問題です。

−お互いにとって、より良い関係を探り続けていくことが大切なことですね。
どうやって共生していくのか。慎重に、前向きに考えていく必要性を感じました。

FASTのイベントで。ヘルパーの女性達と、写真中央にシンガポールの首相リー・シェンロン氏。

FASTは”出稼ぎに出している側の国”であるフィリピンからも感謝され表彰されている。

FASTは、シンガポールでDomestic helperとして働く女性達にとって「雇用主」でも「エージェント」でもなく、唯一の心を許せる相談窓口のような団体です。
毎週日曜日には、FASTのもとへたくさんのメイドさんが集まり、楽しくお喋りをしたりアクティビティをしたり思い思いの時間を過ごすといいます。
ウィリアム氏は少子高齢化の問題を同じように抱える日本とも、積極的に情報交換し助け合って行きたいとお話してくれました。
日本でも、「どれか一つが最善」というよりは、「最適な選択肢が増えたらいいな」と感じたインタビューでした。

サリー
サリー

インドネシアからDomestic helperとしてシンガポールへ渡った、イパさんへのインタビュー記事はこちら
故郷でスタートアップ事業の成功を目標に。(Ipa Saripah: Domestic helper)

FAST公式ページ
Foreign Domestic Worker Association for Social Support and Training | FAST

シンガポールでのアート醸成を夢見て。(Sarah Isabelle Tan:フォトアーティスト)

インタビューしたSarah Isabelle Tanさん。彼女が撮影したメイドのナニーさんの写真と一緒に。

合理的・実力主義・学歴社会などのイメージがある経済国シンガポール。ふと「ステータスよりも夢を追いかけ奮闘する若者はいるのだろうか?」と気になったので芸術の分野を中心に探してみることにしました。
見つけたのは若手アーティストの作品展示(写真や映像中心)を積極的に行うギャラリーDECK。そこで、去年学校を卒業したばかりの若者6人によるグループ展が開催されていました。
今回お話を聞かせてくれたのはSarah Isabelle Tan(サラ・イザベル・タン)さん。彼女の作品と今シンガポールのアートについて感じていることを聞いてきました。

カメラを通して、
被写体と自分の関係性を見つめ直すということ。

−サラさんは何故、カメラの道を志したのですか?

サラ
サラ

専門学校でファッションを専攻していました。友人がデザインした洋服の写真を撮り始めたのをきっかけにカメラに興味を持ちました。

写真を媒体にして、自分と被写体との関係性を考えていくことが面白いと感じたんです。

−今は写真を撮ることで生計を立てているんですか?

サラ
サラ

私は自分を”フォトグラファー”ではなく”アーティスト”だと思っています。
でも残念ながら、今はまだアーティストとして自分が撮りたい作品だけで生活するのは難しいことも事実です。

それで、時には商業的な写真を撮ることで収入を得ています。
仕事は全て自分のコネクションを通じて依頼をもらいます。
ギャランティーは予算を提示してもらって、そこから自分のできることと照らし合わせて交渉していきます。

−でもカメラの仕事で暮らしていることには変わりないですよね、素晴らしいですね。
日本では、芸能やアートの分野を目指す若者はアルバイトをして暮らしている人がほとんどです。下積み時代は長く、生活が苦しい人も多くいます。また、それに対して苦労することがある意味で”美徳”のような考え方もあります
シンガポールではどうでしょう?

サラ
サラ

シンガポールにもアルバイトをしている人はいますが、大半は学生ですね。
卒業後はキュレーターや安定した会社に入る人の方が多いと思います。しかし最近はフリーランスも増えてきました。

情熱と生活のバランスを取りたい、とは常に思っています。
私も学生の頃はとても感情的で情熱的に生きてきましたが、大人になるに連れて最低限の安定した生活が送れるようにバランスは取っていたいと思います。

−シンガポールでは家賃が高く、結婚するまでは親元で暮らすのが当たり前だそうですね。そういう背景も、冷静に自分の状況を見極めやりたいことに打ち込む心の余裕などを後押ししているのかもしれません。

Domestic helper、ナニーとの関係性

サラさんが撮影したノスタルジックな雰囲気のナニーさんの写真。

幼い頃のサラさんのアルバム写真や、ナニーさんが撮影したサラさんの写真も並ぶ。

−今回の写真展はサラさんのお家でメイド( Domestic helpersと呼ぶ)として働いているナニーさんをテーマにしているそうですね。
何故そのテーマを選んだのか聞かせてください。

サラ
サラ

ナニーは私が生後3ヶ月の頃から私の家に来て、両親と一緒に私を育ててくれ、家庭のことを手伝ってくれています。今も一緒に住んでいます。

ナニーは今、59歳。
シンガポールへDomestic helperとして出稼ぎに来ている方は、介護などの特別な事情がない限り、60歳を限度として故郷へ帰ることが決まっています。
つまりナニーももう少しで故郷へ帰ってしまうんです。

だからこのタイミングでナニーを題材にした写真を展示することにしました。

今回はナニーを、彼女の故郷のフィリピンで撮影しました。
写真に撮ることで、私とナニーの関係性について改めて考えてみたかったんです。
私にとってナニーとはどんな存在?ナニーにとって私はどんな存在?ということを。

−答えは出ましたか?

サラ
サラ

現段階では、”こうである”という明確な関係性ではとても言い切れない、−−すごく大切な人だ–というのが答えです。
今回のプロジェクトをきっかけに、私の幼い時の写真を持ち出しました。展示にも何枚か飾っています。

まだ幼いサラさんを抱き抱えるナニーさん

サラ
サラ

こうして現在の写真と並べて対比することで私とナニーの絆がよく分かってもらえるんじゃないかと思います。

−ナニーさんは故郷のフィリピンに家族がいるんですよね?

サラ
サラ

はい。ナニーには5人の息子と1人の娘がいます。一番上の息子が2歳の時に、ナニーはシンガポールへ出稼ぎに渡り、うちに来てくれました。
その間、ナニーの子どもたちは旦那さんが面倒を見ていたようです。

一番上の息子さんが大人になってから10年間、日本に住んでいた経験があるそうで、娘(ナニーさんにとっては孫)に「アケミ」という名前を付けたそうです。
私はアケミちゃんの後見人にもなっているんですよ。

−それくらい、サラさんとナニーさんの関係は深いということですね。

ナニーさんの息子は写真のマンゴーの木の下で産まれたのだとエピソードを話すサラさん。

サラ
サラ

ナニーは大きな箱にシンガポールで手に入る様々な物資を詰めて、よく故郷に送っていました。食べ物や私の古着、うちでまだ使えるけど不要になってしまったケトルなど。

そして私にもいつもフィリピンの家族の話を聞かせてくれていました。フィリピンの自然やナニーの家の風景なども。

だからナニーと一緒にフィリピンへ行った時、初めて訪れる場所なのになぜかすごく懐かしい感じがしたんです。

ナニーの家族にも、初めて会った気がしませんでした。
彼らも温かく私を迎え入れてくれて、不思議な感じがすると同時にとても幸せでした。

−お互いにとって、家族の一員のような存在なんですね。


シンガポールでのアートの発展について

−さて、シンガポールでは芸術分野を発展させようと政府も力を入れていると聞きます。どんなことが必要だと、サラさんは考えていますか?

サラ
サラ

まだまだこの国ではアート自体に夢中になっている人や知識のない人がほとんどです。

政府が補助金を出すのはInstagramなどで”写真映え”するような、所謂”商業ツール”になり得るものが中心で、そうでもないアートまではなかなか支援されません。

2年前、シンガポールのナショナルギャラリーで草間弥生さんの大規模な展示がありすごく盛り上がっていました。
しかしフィーチャーされたのは彼女の作品のごく大衆的な部分ばかりで、作品の裏にある彼女の人生の苦労や社会的な背景はあまり取り沙汰されなかったように感じます。

もっとアーティストに対する福利厚生が整ったり、社会派の作品にもスポットが当たるようになればいいと思っています。

今回、私が参加させてもらっているDECK(写真展が開催されたギャラリー)にはすごく感謝しています。学校を卒業したばかりのような私たちにも機会を与えてくれるのですから。

−このようなギャラリーが少しでも増えて、誰もが気軽にアートに触れて学べる機会が当たり前になるといいですね。サラさんの活躍もとても楽しみです!

サラ
サラ

日本は世界に誇れるカメラのブランドがたくさんあり、私も何回か訪れたことがあります。

それから日本の和紙がとても好きで、今回の写真も”アワガミ”という種類の和紙に焼き付けています。優しい風合いが出ました。

いつか日本で写真の仕事ができるように、これからも頑張ります!

コンテナを改装してギャラリーにしているDECK。

このフロアではサラさんを含む3人の若手アーティストの作品が展示されていました。

Sarah Isabelle Tan : Profile Page
Sarah Isabelle Tan

Deck Gallery
DECK

日本を飛び出して気づいた、ありのままの自分でいることの大切さ(齋藤真帆:株式会社Vivid Creations)

Vivid Creationsのオフィスが入るビル屋上から。奥にはマリーナ・ベイ・サンズが見えます。

シンガポールから、日本を元気にしている会社があります。
株式会社Vivid Creationsは、日本企業がシンガポールでコンテンツを展開するためのプロモーションやマーケティングを現地でサポートする会社。従業員わずか10名の小さな会社ですが、日本のビッグクライアントを抱えこれまで数々のヒットをシンガポールで生み出してきました。そんなVivid Creationsの創立者であり、現在も代表取締役ながらメンバーと一緒に現場で仕事をこなしている齋藤真帆さん。ちょっとネット検索すれば過去にたくさんのインタビュー記事が出てくる敏腕経営者です。
今回は齋藤さんのパーソナルなストーリーに焦点をあて「働く」ことについて一緒に考えてみたいと思います。

”何者かにならなければいけない”日本が窮屈だった

−真帆さんは26歳のときにシンガポールへいらしたそうですね。
ここで起業しよう、と明確にビジョンを描いていたのはいつ頃からだったんですか?

齋藤
齋藤

実は起業しようとかは全く考えていなくて。とにかく「日本を出て海外へ行こう」ということしか考えていませんでした。

−そうなんですね!

齋藤
齋藤

大抵の人がそうであるように、私も当時は”海外に出ることがゴール”になっちゃってましたね。

−でも、その気持ちはわかります。海を越えて暮らすだけでハードルが高く感じるというか。

齋藤
齋藤

私が逆になぜ「日本で起業」という選択肢を持たなかったかというと。

日本で”女性起業家”や”女社長”って聞くと何となく「強い女性でないといけない」というイメージがありました。
「男社会で頑張らなきゃいけないのよ、私たち」というような。
とくに私がまだ20代前半だった時の日本は今ほど女性の社会進出もされていなくて。

だから女性が会社を経営していくというのは、精神的にも肉体的にも相当大変なことなんだろうくらいにしか思っていませんでした(笑)

−実は私もまさしくそんなイメージを、真帆さんに今日お会いするまで持っていたかも(笑)
ではなぜ、起業するに至ったんですか?

齋藤
齋藤

シンガポールに来てからの環境ですかね。チャレンジしたくなる、というか。

私は日本にいた時に相手をプロファイリングする感覚にすごく違和感を持ってたんです。
初対面の人に「おいくつですか?」「出身はどこですか?」「何してる方ですか?」って聞くでしょう。

それから、年上の人には必ず敬語を使うべきだとか、同郷だったら話が合うねとか。

まず”相手が何者なのか”を把握してから会話が始まり自分の態度を決める、マウンティングみたいなものを感じていて。

−うーん、わかるかも。

齋藤
齋藤

大学生の頃からそれは始まっていて。例えば何を学んで、どこへ就職するのか?というようなこと必ず日本の学生は会話しますよね。

一方でシンガポールは新卒っていう考え方がないんです。
みんな卒業してからやりたいことを考えます。それはシンガポールの独特な環境(家賃が高いので結婚するまで親と同居するのが当たり前など)も後押ししているものなんですけど。

日本だとみんな新卒で”何者かにならなきゃいけない”、”何かを目指さないといけない”暗黙のルールのようなものがありますよね。

私も当時その見えない重圧をすごく感じていました。”何かにならないと社会に存在してはいけないんだ”くらいに。

それで必死に色んなことをやってみるんだけど、どれも中途半端に終わってしまうんです。

その度に「私って本当にダメな人なんだ」と落ち込む。
その横で「私はお医者さんになります」と言って医大へ行く友人がいて、私は「あの子偉いなぁ。すごいなぁ。」ってさらに落ち込む。すごく辛かったですね。

−似たような経験が私にもあります。

齋藤
齋藤

ところがシンガポールへ来たら、誰も私に最初から「何歳?」「どこから来たの?」って聞かないんです。すごくそれが心地良くて。ありのままの自分でいいんだなって思えた。

シンガポールの若者は、さっきの新卒の話もそうですがよくも悪くも少しのんびりしているところがあります。クレイジーな経験をしている子も少ないんです。

彼らと話すうちに、日本にいた時に自分が手当たり次第いろんなことにチャレンジした経験が、自分の中でやっと認められた感覚がありました。
中途半端で取り留めもない経験にしか思えなかったけど、改めてこれまでの自分を誇りに思えたんです。

こうなると、「何かにチャレンジしてみようかな」という気持ちがムクムクと湧いてくるんですよね。

−どうやってやりたいことを見つけたんですか?

齋藤
齋藤

今はたくさん美味しい日本食もありますが、当時(2009年)のシンガポールで”日本食”と言えば、唐揚げとか天ぷらが乗っている風変わりなラーメン屋くらいのもので。

コスメもそうです。日本には良いコスメブランドが多くあるのに当時は全然こちらに輸入されていなかった。

日本の感覚だと”海外のモノ”とくに”アジアのモノ”って少し敬遠気味の姿勢ですよね。
それに、日本の市場はMade in Japanの良いモノで溢れていて、飽和状態。

逆にシンガポールは外資で経済発展した国ですから”海外の良質なモノ”ウェルカムなんです。

この需要と供給をマッチングさせたら面白いんじゃないかって思ったのがきっかけです。

−シンガポールの経済成長のタイミングも手伝ったんでしょうか。

齋藤
齋藤

よかったですね。
当時、気軽に申請したら永住権もすぐ手に入りました。
今や億万長者でも簡単に手に入らないですよ。

母としてシンガポールでの生活を選んだ理由

−ご結婚もこちらで?

齋藤
齋藤

そうです。
シンガポールへ来てすぐに知り合ったオーストラリア人の方と。
彼はジャズドラマーなんですが、シンガポールから芸術分野の発展の為に招致されていて、こっちの音大で講師をしています。

起業には彼の影響もすごく大きかった。
自分の好きなことをして暮らしている彼にたくさん刺激を受けました。彼も私のやりたいことをとても後押ししてくれました。

−なるほど。そうやってVivid Creationsが始まったんですね。
その後、東京にも拠点を作る為に一度日本へ戻られていますよね?

齋藤
齋藤

はい。

シンガポールに来てすぐ彼と付き合ったんですが、
起業前のシンガポールに移住して2年くらい経つ頃、二人で「他の国へ行ってもいいね」なんて話をしていた時期がありました。

というのも、シンガポールには娯楽があまりなくて。
歴史の浅い国だからサブカルチャーやアンダーグラウンドなアートがまだ醸成されていないんですよね。

私たちは二人ともそういうサブカルチャーが大好きだったから、刺激がなくて感性が鈍る!と(笑)
彼は昔から憧れていた”東京”へ行きたがっていました。

ところがこっちで起業することになり、やりたいことが見つかった私にはそれがいい刺激になって(笑)彼には申し訳ないけど「帰りたい」気持ちはまた遠のいていましたね。

シンガポール国内でのビジネスが軌道に乗り、東京に拠点を作った方が動きやすそうだということになったタイミングで、ようやく日本に戻ります。

−でも、そのまま日本には留まらなかったんですね。

齋藤
齋藤

東京には3年いて、結局シンガポールに戻りました。
それは、自分たちの考える家族の幸せな在り方が、日本にいたら実現しなかったからなんです。

東京にいる間に息子を出産しました。
保育園に入れないとか、今日本の働くママたちが直面する仕事と育児の両立を私も2年間経験しました。

シンガポールでは家庭にヘルパーを雇用して、共働きすることがスタンダートになっているそうですね。真帆さんはそういう文化をどう考えていますか?

齋藤
齋藤

子どもが生まれる前は、私も夫も「他人に任せるのは違うよね」なんて言ってました。

でも実際に東京で子育てしながら、シンガポールと日本を出張で行ったり来たりする間に考えが変わっていきました。

シンガポールのママ友に会うとみんな本当にキラキラしているんです。美しくいることを怠らず、旦那さんともとても仲良し。

ところが日本に帰ってくると、ママ友はみんな育児と仕事と家庭とに疲弊しきっている人が多い。私もどんどんその一人になっていくんです。

これまで喧嘩なんてしないカップルだったのに、日本にいる間は夫婦喧嘩も絶えませんでした。

日本の多くのお母さんが「人の手を借りてはいけない。それは母としての怠惰だ」という根拠のないプレッシャーを感じながら頑張っている。その頑張りを肯定しなければいけない社会が、私にはすごく不健康に見えました。

子どもにとって一番大切なことは、親がHappyでいることですよね。

自分のHappyを考えたら、私は”仕事も育児も両方やりたい”と思ったんです。
そこで、シンガポールに戻ってヘルパーをお願いするという選択肢を選びました。

−ヘルパーさんと真帆さんの関係はどんなものですか?

齋藤
齋藤

ヘルパーさんは一人目の面接で決めました。今もその方にずっとお願いをしています。

彼女は家族も同然です。一緒に暮らしていて、私よりも家のことを知っているし、息子のこともとても大切にしてくれています。

メイドさんを迎え入れてから1ヶ月くらい経ったある日、夕暮れにそれぞれ家の中で過ごす家族を見て、何も無いのに泣いてしまったこともあります(笑)なんて私は幸せなんだろうって感じたんです。

もちろん、ヘルパー雇用はうまく行かないケースも色々聞きますし、テレビ番組のニュースで虐待や窃盗などの事件が流れたりすることもあります。
あくまで私の場合は良好な関係を築けている、ということです。

ただ、ヘルパー文化がいいか悪いかというより、大切なことは「自分と家族がいかに心身ともに健康な状態でいれる環境を、責任を持って自分で整えることができるか」だと思いますね。

26歳で”社長”になった苦労と学び

−以前、他のインタビュー(*引用元)の中で真帆さんが『日本にいると豊さに牙を抜かれて、下から引っ張られている感覚』があるとお話されていました。
具体的に日本の働き方に感じることについて聞かせていただけますか?

齋藤
齋藤

同調圧力の強さでしょうか。

みんなが同じでなきゃいけない、こうでなきゃいけないと、暗黙のうちに決まっている気がします。それが私は「地に足をつけなさい」と言われて、下から引っ張られている気になるんです。

シンガポールに来た当時の私は、まるで少し宙に浮いている感じでした。
多民族国家のシンガポールでは、バックボーンが多様なので他人が”何者”であるかを正当化する必要がそこまでありません。”誰かでなくてもいい自分”が気楽だったんです。

そういう意味で、日本は非常に”重力の強い国”だと感じます。

良く言えば、日本の伝統文化やアイデンティティは本当にすごいと思います。
シンガポールは(多民族国家であり、外資によって発展してきたから)ごちゃ混ぜになり過ぎていて、「これが昔からのシンガポールです」というのが無いんです。
ある意味、シンガポーリアンはアイデンティティクライシスなんですよね。だからこそ、アイデンティティを形成することに今注力しているように見えます。

−真帆さんが起業時に苦労したことはなんでしたか?それは”シンガポールだったから”でしょうか?

齋藤
齋藤

いいえ。シンガポールで起業したから、ではありません。

私は人とのコミュニケーションが苦労しましたね。
立ち上げ当時は「社長である自分」に囚われていたんです。あれだけ、日本式の「こうでなきゃいけない」思い込みが嫌いで出てきたのに(苦笑)

29歳の私はこれまでマネジメント経験もないし、初めての起業で「リーダー=みんなを引っ張る人」だと思っていたんです。そしてリーダーとは、「命令する人」だと思っていた。「命令」ですよ(苦笑)そして、命令したことができない人には怒るべきだ、とも思ってた。

本当はそんなことしたくない自分がいたのに、そうあるべきだ思い込んでいたんですね。あの頃は私も含めみんな辛そうだった。

−間違ったリーダー像に気づいた時、それを修正するのは大変だったのでは?

齋藤
齋藤

勘違いに気づいた時期が一番大変でもありましたが、同時に学びの時期でした。

結局、やり方を変えたら成果も出るし、みんなHappyになったし、何より私自身がすごく楽でした。

−どうやってメンバーへ想いを伝えるようにしたんでしょうか。

齋藤
齋藤

今まで毎週月曜日のミーティングで「このスタッフにはこれを伝えよう」と頭であらかじめ考えてたんです。
どう伝えたらわかってもらえるかなと、逆に考え過ぎちゃって。

毎日、日曜日は眠れなかった。明日から1週間が始まるのに、日曜日の夜に眠れないって辛いですよね(笑)

−わかるかも。思考が深ければ深い方ほど、何層にも奥に本音が隠れていて。
聞き手がそういうのを分解することが好きなタイプの人ならいいけど、普通は一番外側の層しか伝わりませんよね。

齋藤
齋藤

そう。それで、カッコつけて伝えることをやめたんです。相手にきちんと愛を持って伝えれば、例えネガティブな内容でも気持ちは伝わる。

今までは「それって私には違和感だな、賛成できないな」と伝えたくても、どう「違和感」という言葉を使わずに「賛成できない」と伝えるかにすごく頭を使っていて(笑)

最近は変に回りくどくせず、シンプルに「それって私には〇〇の理由があって違和感がある」と言うようにしています。

働くとは”自分の持てる全てで社会貢献をすること”

−真帆さんにとって、「働く」とはなんですか?

齋藤
齋藤

自分のスキルや強みを使って社会貢献することだと思います。
それに価値を感じてくれるから、対価がもらえて仕事になるわけですよね。

だから最近はまず、社会の中でどうやって自分が貢献できるかを考えます。
そうすると、今の私はVivid Creationsのメンバーを世の中に活かすことが、社会貢献だと思っています。

Vividのメンバーの働きに感化されてまた他の人が社会貢献する。そのサイクルの繰り返しだと思っています。

−シンガポールの合理的な考え方が根付いていると感じます。
同じ質問を日本ですると、もっと感情論や道徳的な言葉が聞こえてくるかも。
でも”価値”や”対価”という言葉の中に温かみもちゃんとあって、真帆さんらしいお答えですね!

ひとりの女性として、母として、経営者として。複数の顔を持つ齋藤真帆さんはスーパーウーマンかと思っていましたが、お話をしてみるとその経歴は悩みながら選択し続けてきた結果が作ったものでした。
日本が大好きだからこそ、時代の変化によって生まれる窮屈さを感じ日本を離れ、シンガポールから日本を良くしようと奮闘する真帆さんに私も元気づけられました。飾らず、ありのままのお話に共感できた方も多いのでは?
今後も齋藤真帆さんとVivid Creationsの活躍が楽しみです。

サリー
サリー
斎藤 真帆(さいとう まほ)
1979年生まれ。神奈川県横浜市出身。大学卒業後、出版局を経て大手メーカー勤務後、2006年にシンガポールの日系企業に就職。シンガポール永住権を取得。2009年に株式会社Vivid Creationsを設立。2014-2016年「シンガポール和僑会」会長に就任。2016年には (一社)東京ニュービジネス協議会「国際アントレプレナー賞」特別賞受賞。


Vivid Creations
Vivid Creations | アジアと世界をつなぐクリエイティブファーム

”福業”座談会〜名嘉あづさ×林先生×ノンビン〜vol.1〜

ソウルウェアが提唱する”福業”(=収入や利益先行の仕事ではなく自分の幸福の為にしている仕事。)
これを実践している3名のゲストに、なぜ福業を始めたのか?どうやって両立しているのか?始める為に必要なこととは?など、みんなが気になるアレコレを本音で語っていただきました。

ゲスト紹介

ファシリテーター 名嘉あづさ 株式会社MOVEDコミュニティマネージャー・ワークショップファシリテーターとしてイベント企画・運営、ブログのライティング等を行う。新卒で自動車関連部品メーカーに就職、サービス企画やダイバーシティ推進業務に従事し、退職。
趣味のアウトドアが高じて自宅をログハウスに。夫婦のアウトドアライフを
YoutubeInstagram にて情報発信中。
SE×社労士 林 雄次大塚商会株式会社にてシステムエンジニアとして15年以上の勤務経験がありながら、自社「はやし総合支援事務所」で【ITに強い社労士】として企業の働き方改革をワンストップでサポート。また、エンジニアの経験を生かしkintoneを活用した業務改善コンサルタントとして、中小企業から大企業まで、多くの顧客企業で業務改善の相談役も担っている。社労士・行政書士といった専門的資格を複数保持。
SE×合同会社ノンビンビーン 星野 智久新潟県に住みながら、kintoneにフルコミットしている東京の企業「株式会社ジョイゾー」に在籍し、フルリモートワークという新しい働き方でkintone開発を実践する。最近では働き方を生かして、ドバイでリゾートワークなども実践した。
また、福業として「合同会社ノンビンビーン」を設立し、本業でできたゆとり部分で、仲間とやりたいことをビジネス化することを行なっている。

”福業”が形になるまでの軌跡。

名嘉
名嘉

本日はよろしくお願いいたします!
私は今、株式会社MOVEDでワークショップファシリテーターとコミュニティーマネージャーをしています。その他ライターをしたり、Youtube配信を始めたりと、色々手を広げていて、どうやったら毎日楽しく仕事ができるか模索しているところです。

これまではもともと新卒で入った会社で10年くらい働いていました。新しい働き方にチャレンジしたくて今のスタイルに転向したんですが、まだまだ迷いも多く・・・。今日は自分も勉強する気持ちで進行していきたいと思います!

それではさっそく、福業を始めたきっかけを教えてください。

単なる「違うフィールドで働きたいから」「お金を稼ぎたいから」ではなく、幸せの”福”がつく福業を選んだのはなぜなんでしょうか?

私の場合はまだ”福業”になれてるかわからないんですが。

本業は大塚商会でSEをしています。会社内で色々な研修を行ううちに、もっと役立てるためにエンジニア系の資格からビジネスに関わる資格、宅建や社会保険労務士など様々な資格を取り始めていたんです。

ある日、奥さんが会社を辞めたいと言い出した。賛成はしたものの、いざ辞めるとなると家庭の収入に対して身構えるところがありました。そこで、取ったものの活用していなかった資格を使って、自分の活動範囲を広げて行ったんです。

林先生
林先生
名嘉
名嘉

なるほど、じゃあ最初は単純に食いぶちを広げるための所謂「副業」からスタートだったんですね。

そうですね。
本業のエンジニアとして関わるお客さんと、業務関連のシステム開発に携わりながらITコンサルティングや社労士としてアドバイスするうちに今の形になりました。

今は奥さんも社労士を目指して勉強中です。ゆくゆくは林家で企業の様々な課題をトータルに解決できるようになりたいですね。

林先生
林先生
名嘉
名嘉

私も将来的には夫婦で仕事がしたいと思って頑張っているので、この後もっと詳しく話が聞きたいですね。

ノンビンさんは何がきっかけで合同会社ノンビンビーンを設立されたんですか?

好奇心や疑問からですかね。
どうでもいいことかもしれないけど、ふと”缶蹴り”って、小さい頃遊んでいたのに大人になるにつれてしなくなったなーって思ったんです。なぜしなくなったのか?と考えたら、ビジネスにならないからかなって。
でも本当に缶蹴りってビジネスにならないの?それを本気でやろうとした人が今までいなかっただけなんじゃないの?って思ったのがきっかけです。

ノンビン
ノンビン

例えば<髪を触るのが好きだから美容師になる>とした場合、そもそも美容師という仕事を知っているから、その選択肢になる。目指す先が見えるから、それが好きになるんだと思うんです。
でも「好きなことからビジネスを作る」ということができたら面白いんじゃないかと思ったんですよね。

ただ、普段はジョイゾーでSEとしてシステム開発をして働いているので、どうやってやればいいのかなーとモヤモヤ悩んでた。
そしたら、ジョイゾーの琴絵さん(代表取締役の奥様でジョイゾーでも勤務)がある日急に、ジョイゾーで働きながら釧路に会社を立ち上げることにしたと言い出したんです。「え、それできるの?」という感じで(笑)

誰もやってないことをビジネス化する会社をやりたいな、と改めてその時に思ったし、すごくそれは勇気になった。

名嘉
名嘉

すごい!代表の奥様がそういうことを率先してやってくれるって、一番やりやすいですね。
それに賛同する仲間がいて、すぐにノンビンビーンが設立されたわけですね。

はい。友達とか、かつての仕事仲間とか。みんなそれぞれ、ちゃんと本業があって。その時はマルチな意味の「複業」に近かったかもしれない。本業と、違うことがやってみたかったという感じで。

ノンビン
ノンビン
名嘉
名嘉

なるほど。
例えば缶蹴りのアイディアが浮かんだのは何かきっかけがあったんですか?

お風呂の中です。いつもアイディアが浮かぶのはお風呂。子どもを洗って先に出して、一人になった時に。鬼ごっこやかくれんぼは芸能人が実際の街中でやるテレビ番組があるように、ビジネスになってるじゃないですか。でもなんで缶蹴りは難しいんだ?というところから。今まで見えてる価値を、違う角度からみてみると発見がある。

ノンビン
ノンビン
名嘉
名嘉

そこからドラム缶に至るわけですね。

そうです。最初は、ドラム缶でピザ窯を作って海外でレンタルしたくて。まだ誰もそういうビジネスをやってないなと思ったので。

そしたらメンバーが「ドラム缶ならお風呂の方がよくない?」と言って。それだ!となって、利益なんて出なくてもいいからとりあえずやってみよう、とサービス化してリリースして、始めて二日後に注文が。海外ではなくて国内からの注文だったけど(笑)

ドラム缶でお風呂沸かすの楽しい!だけで始まったものがイベントを開催して広めていったら注文がきた。最初は驚きましたね。

ノンビン
ノンビン

構えてないと最初に来た注文って驚くよね(笑)

林先生
林先生
名嘉
名嘉

あはは(笑)
でも、一応「ノンビンビーン」は合同会社ですよね。

”会社”という形をとると、私のイメージはやはり利益優先というか。利益を出せって言われてしまうイメージなんですが、赤字でもいいからやってみようと思えるパワーはどこから来るんでしょう?

うちの場合はさっきも言ったように、メンバーが全員本職を持っています。本業でしっかり昼間は働いていて、食べていけてるからこそ「楽しいことに投資しよう」と思ってる。

だから、面白くないと思うことは逆に絶対やらないんです。実験場が作りたかったんですよね。

ノンビン
ノンビン
名嘉
名嘉

なるほど〜。”楽しい”という気持ちだけである種成り立ってるんですね。

でも最近はオンラインコミュニテイなど、会社という組織にしなくても楽しいことをしようよっていう場所は増えてますよね。利益なしに楽しいことを実現しようという場所は他にもある気がしますが。逆にわざわざ「会社」という形をとったのはなぜなんですか?

「覚悟」ですかね。ビジネスにするということは、3年後でも5年後でもいいから、いつかは利益が出るように考える。本当に”遊び”だけじゃなくて。そうすると、本気で考えるようになるじゃないですか。

ノンビン
ノンビン
名嘉
名嘉

うんうん。例えばオンラインコミュニティのような場所が本気ではない、というわけじゃないけど、正直嫌だったら抜ければいいだけの世界。でもノンビンさんは自分たちの会社にすることによって「本気の遊び」にしたわけですね。

「利益度外視で」という点では、林先生のはやし総合支援事務所はどうですか?

度外視している訳では無いですけど、短期的な活動1つ1つが利益としてプラスになっていなくてもいいかなとは思っています。採算が多少合わないかなと思っても、面白そうな話をいただいたらやってみる。
チャレンジしないとそのさきにあるものは得られないですからね。なんでもかんでも引き受けてやっている中で、もちろん失敗もあるけど、また次の話をもらえることにも繋がっている。

一方で、自分の会社の宣伝費など、ケチらずに投資するべきところは時間もお金も使っています。

林先生
林先生

ブランディングとか広報に矛先が向かってるんですね。

ノンビン
ノンビン

プロモーション活動への先行投資って、企業に属しているとなかなか自分でできないけど、自分の会社ならそれができるじゃないですか。

大塚商会の中だと「SE」という職種に縛られてしまうんだけど、その枠をとれば「林雄次」個人で勝負できる。

林先生
林先生
名嘉
名嘉

思ったんですけど、そもそもなんでこんなに資格持ってるんですか?(笑)

20〜30個あるんですけど(笑)国家資格など取得が難しい資格の保持者としては国内有数かもしれないですね。

大学生の時は社会福祉を専攻していて、人の役に立てる仕事がしたかった。でも当時、大卒で選ぶには収入も労働時間の過酷さも、社会福祉士は選びづらかった。
それで、パソコンが得意だったこともあり、IT経由で人の役に立とうと思ってエンジニアになったんです。最初はIT関係の資格から始めて。取り尽くしてしまった(笑)

林先生
林先生

(林先生の保持資格を見ながら)だって、システム監査とかありますよ(笑)

ノンビン
ノンビン

そうそう(笑)
それでも、見境なく取ってる訳ではなくて。
人の役に立つ時に、使える資格に裾野を広げて社会保険労務士などを取ったんです。

自分が眺めてニヤニヤするだけでは嫌で、人の役に立てるようにっていうのは根底にありますね。

林先生
林先生
名嘉
名嘉

それで、林先生というプラットフォームができたんですね(笑)

せっかく持っている資格も、持っているだけでは勿体無い。
それで先に話したように、家の事情もあってSEの仕事をしながら客先で相談を受けたりしているうちにどんどん広がっていったんですね。

ITのわかる社労士さんって意外といなくて。士業って紙ベースのイメージあるじゃないですか。それとITが結びつかないというか。でも、ニーズは結構あって声かけてもらうことも多くなった。「IT×士業」の掛け合わせがウケたんです。

林先生
林先生
名嘉
名嘉

狙った訳ではないけど、結果的にニーズがあったという感じですね。

会社としての”福業”、どうしてる?

名嘉
名嘉

二人とも根本には「失敗してもいいや」というマインドがあるんですかね?

失敗の定義づけだと思っています。
成功や失敗は人につけられるものでは無いですよね。
自分の中で、いかに理想に近づくかの話で。諦めるか、やり続けるのか、切り捨てるかの三択だと思ってるんです。
成功か失敗で考えるから、足が止まる。
そうじゃなくて結果的に何が起きたか、それだけでしかない。

ノンビン
ノンビン

その瞬間のスナップショットでみると、失敗っぽい・成功っぽいとはなるかもしれないけどね。
全部の瞬間が繋がって、結果ってできていくものだから。

林先生
林先生
名嘉
名嘉

長い目でみるのが大事なのかなって思いました。
そういえば私は、人生100年時代とも言われる世の中のことを考えたときに、前の会社で働き続けることに違和感を感じて、やめたんですよ。新しいことに挑戦したいって。

ある程度大きな会社や組織で考えると、期ごとで結果を出さなきゃいけなくなりますよね。そうすると、そもそもどんな行動も結果ありきになってしまいがち。でもそれって面白く無いなって。結果が見えないのが面白いと思うんだよね。

林先生
林先生
名嘉
名嘉

そうですね。

また会社の中だと「評価」があるじゃないですか。それでお給料が変わったり、他人から評価の中で生きなきゃいけない。
福業として、「会社」というスタンスをとっているお二人はどうやって「評価」というものを考えていますか?

ノンビンビーンでの評価は、みんながやりたいことをプレゼンし、「面白いか面白く無いか、どれだけ仲間を巻き込めるのか」が基準になっています。

それで貰えるお金に差が出るとかはなくて、その代わり個々のブランディングへの反響が変わる。発起人をノンビンビーンのその時のプロジェクトの表に出して、世の注目を集めることに投資してもらえる。
結果的にその人自体に興味が集まるので、本業でもノンビンビーンでも名前が売れることになります。

ノンビン
ノンビン

僕の場合は資格という武器はたくさんあるけど、武器だけあっても戦い方や守備がないとどうにもならないじゃないですか。日々の付き合いの中で、「今仕事探してるんだけど〜」という友人がいれば「あ、じゃあうちの会社のこの分野で仕事する?」みたいな感じで声をかけて、仲間が集まってできた。それが「はやし総合支援事務所」なんです。
みんなが心地よく、得意分野でのびのび仕事してもらっているので、ノルマとか物差しを与えていません。

林先生
林先生
名嘉
名嘉

なるほど。やっぱり”好きなこと”をしているのが前提にあるから、あくせくしたり、評価の為に無理をしたりみたいな、窮屈さはないんですね。

vol.1はここまで!次回は「ライスワーク」「ライフワーク」の違いや、「福業するために本業の会社から理解を得るには?」「実際ハードワークじゃない?」など、もっともっと本音に迫った話へ、座談会は進んでいきます!
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生き方のお弁当に、
たくさんの幸せを詰めよう

「お弁当」と聞いてあなたが想像するのはどんなものですか?

家庭によって、容れ物も中身も違うお弁当。
お母さんお父さん、おばあちゃんの手作り。
コンビニで買ったパンやおにぎり、
出来合いのお惣菜詰め合わせ。

その思い出は常に温かいものではなく、
人によっては悲しいものかもしれない。

すごく個人的で、多様。そして正解がないもの。それがお弁当です。

働くということ。

会社勤めの人
職人
命をかけて国や人を守る人
専業主婦(主夫)

給料や内容、楽しさ・やりがいだけでは測れないもの。
そしてやっぱり、
すごく個人的で正解がないところがお弁当と似ています。

友達のお弁当を覗いた時やおかずを交換した時の新しい発見も楽しい。 これは仕事上のアイデアや意見交換とも通じていますね。

みんなで食べるのか、一人で食べるのか。
そのロケーションは?

そういうお弁当の幅広さ・奥深さと
人それぞれ違う「働くこと」
「幸せの捉え方」の気持ちを重ねて、
多種多様な表現ができるメディア、それがエス弁です。

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