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日本を飛び出して気づいた、ありのままの自分でいることの大切さ(齋藤真帆:株式会社Vivid Creations)

Vivid Creationsのオフィスが入るビル屋上から。奥にはマリーナ・ベイ・サンズが見えます。

シンガポールから、日本を元気にしている会社があります。
株式会社Vivid Creationsは、日本企業がシンガポールでコンテンツを展開するためのプロモーションやマーケティングを現地でサポートする会社。従業員わずか10名の小さな会社ですが、日本のビッグクライアントを抱えこれまで数々のヒットをシンガポールで生み出してきました。そんなVivid Creationsの創立者であり、現在も代表取締役ながらメンバーと一緒に現場で仕事をこなしている齋藤真帆さん。ちょっとネット検索すれば過去にたくさんのインタビュー記事が出てくる敏腕経営者です。
今回は齋藤さんのパーソナルなストーリーに焦点をあて「働く」ことについて一緒に考えてみたいと思います。

”何者かにならなければいけない”日本が窮屈だった

−真帆さんは26歳のときにシンガポールへいらしたそうですね。
ここで起業しよう、と明確にビジョンを描いていたのはいつ頃からだったんですか?

齋藤
齋藤

実は起業しようとかは全く考えていなくて。とにかく「日本を出て海外へ行こう」ということしか考えていませんでした。

−そうなんですね!

齋藤
齋藤

大抵の人がそうであるように、私も当時は”海外に出ることがゴール”になっちゃってましたね。

−でも、その気持ちはわかります。海を越えて暮らすだけでハードルが高く感じるというか。

齋藤
齋藤

私が逆になぜ「日本で起業」という選択肢を持たなかったかというと。

日本で”女性起業家”や”女社長”って聞くと何となく「強い女性でないといけない」というイメージがありました。
「男社会で頑張らなきゃいけないのよ、私たち」というような。
とくに私がまだ20代前半だった時の日本は今ほど女性の社会進出もされていなくて。

だから女性が会社を経営していくというのは、精神的にも肉体的にも相当大変なことなんだろうくらいにしか思っていませんでした(笑)

−実は私もまさしくそんなイメージを、真帆さんに今日お会いするまで持っていたかも(笑)
ではなぜ、起業するに至ったんですか?

齋藤
齋藤

シンガポールに来てからの環境ですかね。チャレンジしたくなる、というか。

私は日本にいた時に相手をプロファイリングする感覚にすごく違和感を持ってたんです。
初対面の人に「おいくつですか?」「出身はどこですか?」「何してる方ですか?」って聞くでしょう。

それから、年上の人には必ず敬語を使うべきだとか、同郷だったら話が合うねとか。

まず”相手が何者なのか”を把握してから会話が始まり自分の態度を決める、マウンティングみたいなものを感じていて。

−うーん、わかるかも。

齋藤
齋藤

大学生の頃からそれは始まっていて。例えば何を学んで、どこへ就職するのか?というようなこと必ず日本の学生は会話しますよね。

一方でシンガポールは新卒っていう考え方がないんです。
みんな卒業してからやりたいことを考えます。それはシンガポールの独特な環境(家賃が高いので結婚するまで親と同居するのが当たり前など)も後押ししているものなんですけど。

日本だとみんな新卒で”何者かにならなきゃいけない”、”何かを目指さないといけない”暗黙のルールのようなものがありますよね。

私も当時その見えない重圧をすごく感じていました。”何かにならないと社会に存在してはいけないんだ”くらいに。

それで必死に色んなことをやってみるんだけど、どれも中途半端に終わってしまうんです。

その度に「私って本当にダメな人なんだ」と落ち込む。
その横で「私はお医者さんになります」と言って医大へ行く友人がいて、私は「あの子偉いなぁ。すごいなぁ。」ってさらに落ち込む。すごく辛かったですね。

−似たような経験が私にもあります。

齋藤
齋藤

ところがシンガポールへ来たら、誰も私に最初から「何歳?」「どこから来たの?」って聞かないんです。すごくそれが心地良くて。ありのままの自分でいいんだなって思えた。

シンガポールの若者は、さっきの新卒の話もそうですがよくも悪くも少しのんびりしているところがあります。クレイジーな経験をしている子も少ないんです。

彼らと話すうちに、日本にいた時に自分が手当たり次第いろんなことにチャレンジした経験が、自分の中でやっと認められた感覚がありました。
中途半端で取り留めもない経験にしか思えなかったけど、改めてこれまでの自分を誇りに思えたんです。

こうなると、「何かにチャレンジしてみようかな」という気持ちがムクムクと湧いてくるんですよね。

−どうやってやりたいことを見つけたんですか?

齋藤
齋藤

今はたくさん美味しい日本食もありますが、当時(2009年)のシンガポールで”日本食”と言えば、唐揚げとか天ぷらが乗っている風変わりなラーメン屋くらいのもので。

コスメもそうです。日本には良いコスメブランドが多くあるのに当時は全然こちらに輸入されていなかった。

日本の感覚だと”海外のモノ”とくに”アジアのモノ”って少し敬遠気味の姿勢ですよね。
それに、日本の市場はMade in Japanの良いモノで溢れていて、飽和状態。

逆にシンガポールは外資で経済発展した国ですから”海外の良質なモノ”ウェルカムなんです。

この需要と供給をマッチングさせたら面白いんじゃないかって思ったのがきっかけです。

−シンガポールの経済成長のタイミングも手伝ったんでしょうか。

齋藤
齋藤

よかったですね。
当時、気軽に申請したら永住権もすぐ手に入りました。
今や億万長者でも簡単に手に入らないですよ。

母としてシンガポールでの生活を選んだ理由

−ご結婚もこちらで?

齋藤
齋藤

そうです。
シンガポールへ来てすぐに知り合ったオーストラリア人の方と。
彼はジャズドラマーなんですが、シンガポールから芸術分野の発展の為に招致されていて、こっちの音大で講師をしています。

起業には彼の影響もすごく大きかった。
自分の好きなことをして暮らしている彼にたくさん刺激を受けました。彼も私のやりたいことをとても後押ししてくれました。

−なるほど。そうやってVivid Creationsが始まったんですね。
その後、東京にも拠点を作る為に一度日本へ戻られていますよね?

齋藤
齋藤

はい。

シンガポールに来てすぐ彼と付き合ったんですが、
起業前のシンガポールに移住して2年くらい経つ頃、二人で「他の国へ行ってもいいね」なんて話をしていた時期がありました。

というのも、シンガポールには娯楽があまりなくて。
歴史の浅い国だからサブカルチャーやアンダーグラウンドなアートがまだ醸成されていないんですよね。

私たちは二人ともそういうサブカルチャーが大好きだったから、刺激がなくて感性が鈍る!と(笑)
彼は昔から憧れていた”東京”へ行きたがっていました。

ところがこっちで起業することになり、やりたいことが見つかった私にはそれがいい刺激になって(笑)彼には申し訳ないけど「帰りたい」気持ちはまた遠のいていましたね。

シンガポール国内でのビジネスが軌道に乗り、東京に拠点を作った方が動きやすそうだということになったタイミングで、ようやく日本に戻ります。

−でも、そのまま日本には留まらなかったんですね。

齋藤
齋藤

東京には3年いて、結局シンガポールに戻りました。
それは、自分たちの考える家族の幸せな在り方が、日本にいたら実現しなかったからなんです。

東京にいる間に息子を出産しました。
保育園に入れないとか、今日本の働くママたちが直面する仕事と育児の両立を私も2年間経験しました。

シンガポールでは家庭にヘルパーを雇用して、共働きすることがスタンダートになっているそうですね。真帆さんはそういう文化をどう考えていますか?

齋藤
齋藤

子どもが生まれる前は、私も夫も「他人に任せるのは違うよね」なんて言ってました。

でも実際に東京で子育てしながら、シンガポールと日本を出張で行ったり来たりする間に考えが変わっていきました。

シンガポールのママ友に会うとみんな本当にキラキラしているんです。美しくいることを怠らず、旦那さんともとても仲良し。

ところが日本に帰ってくると、ママ友はみんな育児と仕事と家庭とに疲弊しきっている人が多い。私もどんどんその一人になっていくんです。

これまで喧嘩なんてしないカップルだったのに、日本にいる間は夫婦喧嘩も絶えませんでした。

日本の多くのお母さんが「人の手を借りてはいけない。それは母としての怠惰だ」という根拠のないプレッシャーを感じながら頑張っている。その頑張りを肯定しなければいけない社会が、私にはすごく不健康に見えました。

子どもにとって一番大切なことは、親がHappyでいることですよね。

自分のHappyを考えたら、私は”仕事も育児も両方やりたい”と思ったんです。
そこで、シンガポールに戻ってヘルパーをお願いするという選択肢を選びました。

−ヘルパーさんと真帆さんの関係はどんなものですか?

齋藤
齋藤

ヘルパーさんは一人目の面接で決めました。今もその方にずっとお願いをしています。

彼女は家族も同然です。一緒に暮らしていて、私よりも家のことを知っているし、息子のこともとても大切にしてくれています。

メイドさんを迎え入れてから1ヶ月くらい経ったある日、夕暮れにそれぞれ家の中で過ごす家族を見て、何も無いのに泣いてしまったこともあります(笑)なんて私は幸せなんだろうって感じたんです。

もちろん、ヘルパー雇用はうまく行かないケースも色々聞きますし、テレビ番組のニュースで虐待や窃盗などの事件が流れたりすることもあります。
あくまで私の場合は良好な関係を築けている、ということです。

ただ、ヘルパー文化がいいか悪いかというより、大切なことは「自分と家族がいかに心身ともに健康な状態でいれる環境を、責任を持って自分で整えることができるか」だと思いますね。

26歳で”社長”になった苦労と学び

−以前、他のインタビュー(*引用元)の中で真帆さんが『日本にいると豊さに牙を抜かれて、下から引っ張られている感覚』があるとお話されていました。
具体的に日本の働き方に感じることについて聞かせていただけますか?

齋藤
齋藤

同調圧力の強さでしょうか。

みんなが同じでなきゃいけない、こうでなきゃいけないと、暗黙のうちに決まっている気がします。それが私は「地に足をつけなさい」と言われて、下から引っ張られている気になるんです。

シンガポールに来た当時の私は、まるで少し宙に浮いている感じでした。
多民族国家のシンガポールでは、バックボーンが多様なので他人が”何者”であるかを正当化する必要がそこまでありません。”誰かでなくてもいい自分”が気楽だったんです。

そういう意味で、日本は非常に”重力の強い国”だと感じます。

良く言えば、日本の伝統文化やアイデンティティは本当にすごいと思います。
シンガポールは(多民族国家であり、外資によって発展してきたから)ごちゃ混ぜになり過ぎていて、「これが昔からのシンガポールです」というのが無いんです。
ある意味、シンガポーリアンはアイデンティティクライシスなんですよね。だからこそ、アイデンティティを形成することに今注力しているように見えます。

−真帆さんが起業時に苦労したことはなんでしたか?それは”シンガポールだったから”でしょうか?

齋藤
齋藤

いいえ。シンガポールで起業したから、ではありません。

私は人とのコミュニケーションが苦労しましたね。
立ち上げ当時は「社長である自分」に囚われていたんです。あれだけ、日本式の「こうでなきゃいけない」思い込みが嫌いで出てきたのに(苦笑)

29歳の私はこれまでマネジメント経験もないし、初めての起業で「リーダー=みんなを引っ張る人」だと思っていたんです。そしてリーダーとは、「命令する人」だと思っていた。「命令」ですよ(苦笑)そして、命令したことができない人には怒るべきだ、とも思ってた。

本当はそんなことしたくない自分がいたのに、そうあるべきだ思い込んでいたんですね。あの頃は私も含めみんな辛そうだった。

−間違ったリーダー像に気づいた時、それを修正するのは大変だったのでは?

齋藤
齋藤

勘違いに気づいた時期が一番大変でもありましたが、同時に学びの時期でした。

結局、やり方を変えたら成果も出るし、みんなHappyになったし、何より私自身がすごく楽でした。

−どうやってメンバーへ想いを伝えるようにしたんでしょうか。

齋藤
齋藤

今まで毎週月曜日のミーティングで「このスタッフにはこれを伝えよう」と頭であらかじめ考えてたんです。
どう伝えたらわかってもらえるかなと、逆に考え過ぎちゃって。

毎日、日曜日は眠れなかった。明日から1週間が始まるのに、日曜日の夜に眠れないって辛いですよね(笑)

−わかるかも。思考が深ければ深い方ほど、何層にも奥に本音が隠れていて。
聞き手がそういうのを分解することが好きなタイプの人ならいいけど、普通は一番外側の層しか伝わりませんよね。

齋藤
齋藤

そう。それで、カッコつけて伝えることをやめたんです。相手にきちんと愛を持って伝えれば、例えネガティブな内容でも気持ちは伝わる。

今までは「それって私には違和感だな、賛成できないな」と伝えたくても、どう「違和感」という言葉を使わずに「賛成できない」と伝えるかにすごく頭を使っていて(笑)

最近は変に回りくどくせず、シンプルに「それって私には〇〇の理由があって違和感がある」と言うようにしています。

働くとは”自分の持てる全てで社会貢献をすること”

−真帆さんにとって、「働く」とはなんですか?

齋藤
齋藤

自分のスキルや強みを使って社会貢献することだと思います。
それに価値を感じてくれるから、対価がもらえて仕事になるわけですよね。

だから最近はまず、社会の中でどうやって自分が貢献できるかを考えます。
そうすると、今の私はVivid Creationsのメンバーを世の中に活かすことが、社会貢献だと思っています。

Vividのメンバーの働きに感化されてまた他の人が社会貢献する。そのサイクルの繰り返しだと思っています。

−シンガポールの合理的な考え方が根付いていると感じます。
同じ質問を日本ですると、もっと感情論や道徳的な言葉が聞こえてくるかも。
でも”価値”や”対価”という言葉の中に温かみもちゃんとあって、真帆さんらしいお答えですね!

ひとりの女性として、母として、経営者として。複数の顔を持つ齋藤真帆さんはスーパーウーマンかと思っていましたが、お話をしてみるとその経歴は悩みながら選択し続けてきた結果が作ったものでした。
日本が大好きだからこそ、時代の変化によって生まれる窮屈さを感じ日本を離れ、シンガポールから日本を良くしようと奮闘する真帆さんに私も元気づけられました。飾らず、ありのままのお話に共感できた方も多いのでは?
今後も齋藤真帆さんとVivid Creationsの活躍が楽しみです。

サリー
サリー
斎藤 真帆(さいとう まほ)
1979年生まれ。神奈川県横浜市出身。大学卒業後、出版局を経て大手メーカー勤務後、2006年にシンガポールの日系企業に就職。シンガポール永住権を取得。2009年に株式会社Vivid Creationsを設立。2014-2016年「シンガポール和僑会」会長に就任。2016年には (一社)東京ニュービジネス協議会「国際アントレプレナー賞」特別賞受賞。


Vivid Creations
Vivid Creations | アジアと世界をつなぐクリエイティブファーム

編集者

サリー

サリー

ソウルウェアの広報サリーです。エス弁の記事企画、取材、ライティングなど。ミニマルな考え方やデザインを支持。好きなものはレモンサワーと動物と植物。

生き方のお弁当に、
たくさんの幸せを詰めよう

「お弁当」と聞いてあなたが想像するのはどんなものですか?

家庭によって、容れ物も中身も違うお弁当。
お母さんお父さん、おばあちゃんの手作り。
コンビニで買ったパンやおにぎり、
出来合いのお惣菜詰め合わせ。

その思い出は常に温かいものではなく、
人によっては悲しいものかもしれない。

すごく個人的で、多様。そして正解がないもの。それがお弁当です。

働くということ。

会社勤めの人
職人
命をかけて国や人を守る人
専業主婦(主夫)

給料や内容、楽しさ・やりがいだけでは測れないもの。
そしてやっぱり、
すごく個人的で正解がないところがお弁当と似ています。

友達のお弁当を覗いた時やおかずを交換した時の新しい発見も楽しい。 これは仕事上のアイデアや意見交換とも通じていますね。

みんなで食べるのか、一人で食べるのか。
そのロケーションは?

そういうお弁当の幅広さ・奥深さと
人それぞれ違う「働くこと」
「幸せの捉え方」の気持ちを重ねて、
多種多様な表現ができるメディア、それがエス弁です。

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